子どもの頃の2時間の体験が、人生を決めることもある

私が小学3年生の12月に、私の家族はとなりの町に引っ越しをしました。前の学校と転校した先の学校のギャップがあって、そこで私はいじめにあっていました。

毎日、学校に行き小さないじめにあって私はすこしずつ学校に行くのが嫌になっていきました。前の学校ではそんなこと一度も感じたことがなかったのに。

ある日のこと、家のテレビで、とある映画を観ました。そこで大きなショックを受けたのです。その映画は「風の谷のナウシカ」といいます。その独得な世界観と、子どもながらに感じるリアリティにすっかり魅了されてしまいました。そして、映画を観ている間は、いじめられている事を完全に忘れることができ、私も漠然と何かをしたい!勇気を出して行動しよう!と元気が出てきたのです。私はこんなすごいアニメを作る人と仕事をしたいと感じました。その人とは宮崎駿です。
そんなわけで、私ははっきりとした意識を持っていたわけではありませんでしたが、絵を描くこと、表現することを仕事にしたいと漠然と思うようになりました。

そんなわけで、小学校の時に宮崎駿の作品に刺激を受けて以来、中学に上がっても心の底で何かを作って生きていきたいと思っていました。例えば、ナウシカの絵の模写をして中学校で友達に見せたりしていました。そして、私は高校に入り大学への進路について考える時期になりました。もともと学業の成績がよくありませんでしたし、人と違うことをやりたいと思うひねくれた性格でした。だから、絵に関わる仕事をするために、美術大学に行こうと決心したのです。

そこから私の、何かを作って生きていくという旅が始まったのです。美大に行くためには美大受験のための勉強が必要で、うちの高校から美大に行った人が過去にはいなかったようです。ですから、相談できる進路指導の先生がいませんでした。そこで、非常勤の美術の先生に相談し、とてもお世話になり、国語や数学などの受験勉強をする代わりに、朝早くから美術準備室を借りて石膏像のデッサンをさせてくれました。一方で私は野球部に入っていたので、部活のことも下手なりに一生懸命やりました(ベンチには入っていたのですが、公式戦に出たことがありませんw)。
そしてついに、金沢美術工芸大学の商業デザイン科に入って、グラフィックデザインの世界に足を踏み入れたのです。商業デザイン科からは何人かスタジオジブリに入社する先輩がいました。私が入学した1年生の時に4年生だった米林さんはその一人で、「借りぐらしアリエッティ」の監督をされています。けれども私は、就職活動でジブリを受けませんでした。大学にいる間に色々なことを経験し自分のやりたい事とやれることを見つめて、最終的に広告代理店に就職しました。
ナウシカにすっかりやられてしまい、表現の世界に興味を持ち、美大に進学して、広告代理店でアートディレクターになりました。

私が小学生の時にテレビから受けた衝撃は、表現する仕事に繋がっていたのです。

ほんの小さなきっかけが人生を決めることもある、と私はつくづく感じ入ってしまいます。

子どもが2人いる今、私は子どもに様々な体験をする機会をつくり、未来につながる小さな点をたくさん作っておいてほしいなと思っています。その点は、漫画でもアニメでも本でもダンスでも昆虫でも友達でも何でもよくて、今は無駄に見えても、未来にどんな花を咲かせるかわからないものなのです。子どもの未来は今の経験からできていくのです。

そして経験の影響は小さくありません。みなさんにもそんな経験がありませんか?

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